大阪城の恐怖の神社の意味が分かってきた©洪 経世

恐怖の神社の入り口に説明文はあるんですが、写真の大阪城案内図を見てください。12の番号の下、少し右に「人面石」とあります。その人面石の写真が、石垣の写真の白矢印の石です。その上辺りに恐怖の神社があります。歴史建造物らしくない黄色い柵が見えますが、たぶんそこから飛び降り自殺があったんじゃないかな。人面石は自然が作り出したのではなく、徳川時代に意図的に嵌め込まれたようです。当時はもっとはっきり人の顔だったんでしょうね。なぜそんなものを嵌め込んだのかと言うと、その位置は大阪城本丸の鬼門に当たるからだそうです。鬼門と言うのは鬼の霊が通る道だそうです。つまり人面石は魔除けとして嵌め込まれたようです。そこで思ったのは、恐怖の神社の入り口の説明文に何が書いてあったか忘れたんですが、徳川時代はそこには、炊いたご飯を乾燥させたインスタントご飯を貯蔵する櫓(やぐら)が建っていたそうで、明治維新の時まで有ったのか、とにかく明治維新の時に大阪城の櫓は、ほぼ全てだったか、全てだったか、放火されて消失します。恐怖の神社はその後に作られた事になりますが、人面石は徳川時代から有ったし、そこが大阪城本丸の鬼門なのは大阪城が出来た時からそうです。因みに、豊臣大阪城はドンピシャ鬼門に建っていました。徳川大阪城は鬼門を外してます。今の大阪城も。そんなふうに考えていくと、恐怖の神社の説明文に何が書いてあったか忘れたんですが、要するにそこが鬼門だから神社を建てた、と言う事ではないかと思います。そう考えれば、異次元に気味が悪いのも納得です。因みに、恐怖の神社の南隣には宿舎のような建物があるんですが、立ち入り禁止です。戦前に建てられたのか戦後に建てられたのか、なんで鬼門に宿舎なんか建てたのか?宿直の人の頭がおかしくなったらどうするんでしょうね?©洪 経世