疑う事が言語的に不可能な事がある

例えば精神の真実性です。「精神は真実ではない」と言ってしまうと、その「精神は真実ではない」と言う言葉も真実ではない事になるでしょ?言語的に不可能なんです精神の真実性を疑う事は。それに関係する話で、「全てを疑うべき」と言う考え方があるんですが、しかし全てを疑うべきなら、その「全てを疑うべき」と言う言葉も信じてはいけないわけです。「全てを疑うべき」と言う言葉に従えばね。すると全てを疑う必要はなくなるわけでしょ?「全てを疑うべき」と言う言葉の通りにすれば?そんなふうに世の中には言語的に不可能な事があって、「精神は真実ではない」と言う言葉は「精神は絶対の真実」と言ってるのと同じ事で、「全てを疑うべき」と言う言葉は「全てを疑う必要はない」と言ってるのと同じ事になるわけです。自動的に。

©洪 経世