夏特集4 人生は霊的な意味しかない

※写真をクリックすると大きくなるのね。念力を込めてクリックすると写真の中に何かが見えるかも。(写真は補正してるけど作ってないのね。だから見えたらそれは本物の…)

 

いつ頃から「理論的に考えて霊は」という考え方が一般的になったのかは知らんのですが、その考え方は明らかにバカげてるのに、そのバカげた事が広まったのは、たぶん19世紀からの「科学ブーム」のせいじゃないかと思うのね。

霊を科学で否定することがカッコイイことだと思う人が増えたわけですよ。そうする事で新しい地位を得られる、出世できると言うこともあったんでしょうな(ソ連がいい例)。

でも実際は、そんなことしても何一ついい事なんかないのね。なんでかと言うと、「自我」というのが絶対に理論的にはありえないもんだからなのね。

それに、哲学をディープにやってる人ならたぶん知ってると思うけど、理論的には「意識」というのがありえないものなのね。これ知る人ぞ知る有名な話ですよ?

でも現実には自我はあるわけですよ。意識もあるわけですよ。それ以上確かなものはないくらいに。

だって自我とか意識の存在を認めないで科学とか哲学の存在を認めるなんて、明らかにおかしいよね?

 

結局、どんなに科学が発達しようと霊(非理論的なもの)の存在を否定するのは不可能なわけですよ。

コンピューターが人間の知能に似てるのは当たり前のことなのね。コンピューターのモデルは人間の知能だから。似てない方がおかしいでしょ?

でもコンピューターはマネキンと同じで、どんなに美人になってもマネキンなのね。人間じゃないのね。

 


だから、例えば、キリスト教で言ってる事は本当かとか、仏教で言ってる事は本当かとか、あの占い師とかあの超能力者は本物かとか、そう言う議論はする必要があるんだろうけど、「霊が存在するかどうか」という議論はまったくする必要がないわけですよ。「太陽は存在するかどうか」って議論をする必要はないのと同じで。

人生には霊的な意味しかないのね。なんでかというと、理論的には「意味」というもの自体がありえないからなのね。これも知る人ぞ知る有名な話なのね。

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